何も考えず、じゃっぶじゃぶ湯水のように貴重な時間を浪費する。それが若さの美しいところであり、憎たらしいところでもある。
— ザ・万歩計 (文春文庫) / 万城目 学 (via highlight)
何も考えず、じゃっぶじゃぶ湯水のように貴重な時間を浪費する。それが若さの美しいところであり、憎たらしいところでもある。
— ザ・万歩計 (文春文庫) / 万城目 学 (via highlight)
私は、日本の女性が美しくなろうとする努力が、ひたすら「若作り」の方向に向かう理由は、「かわいい」という価値観が圧倒的に強いこと、そして「かわいい」という価値観が若さと結びついていることにあるのではないかと考えています。
かわいいものを身にまといたい、と思った場合、それなりの若さがないと、似合うと言える状態まで持っていくのが難しいです。そして、外見的に「かわいい」という評価を受けたいのなら、若さは必須に思えます。
私は、無理して若作りをしたくないという考えを持っていますが、若作りをしている人のことを笑う気持ちには、どうしてもなれません。周りがシワやシミを極力除去し、若さを保っていく中で、自分だけが自然な老いを堂々と晒して生きることは、戦いだと言ってもいいほど、勇気の要ることだと感じます。そして、「かわいい」という価値観に対し、「そうでない価値観もあるのだ」と、自分の姿を通して表現することは、やはり同じく、とても勇気の要ることだと感じます。
かわいい以外の価値観もある、自分は自分らしくいたい、と考えていても、これだけ「かわいい」という価値観が強い世の中で生きていると、自分も「かわいい」と評価されたいと思ってしまう瞬間が、あって当然だと思うのです。
死の恐怖を征服するもっともよい方法は、自分の関心をだんだん広汎かつ非個人的にしていくのが肝心だ
— 大事なのに、学校で教わらないこと『生きる技術』:わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる (via shinyasuzuki)
納得「前田敦子=画・大友克洋。剛力彩芽=画・つのだじろう。篠田麻里子=画・手塚治虫」
— Twitter / パンス (via deli-hell-me)
世代が違うと話が合わないなんて言うのは間違い。 話が合わないんじゃなくて、話を引き出せない自分がバカなのだ。
年寄りとお茶を飲んでいて、「おじいちゃん、この茶碗は何?」って聞けば、何かしら答えが返ってくる。きっかけさえ作ることができれば、思いもよらない話が聞けることもある。 相手はいい気持ちになれるし、こっちは知らなかったことを知る。 相手が小学生だって同じだ。
13:作家(アラバマ州):2010/09/12(日) 14:50:42.37 ID:cpjoPDk6Pああああああああああああああああああ
なんでわかんねんだよ!
ダンゴムシにはダンゴムシの生き方があるの!
なんで日の当たるところに引きずり出そうとするんだよ!
卑屈になってんじゃねえんだよ!
石の下は湿っててひんやりして気持ちいいんだよ!
つつかれたら丸まるのは自分の意思じゃねえんだよ!
遺伝子で決まってるんだよ!ペンギンは空を飛べないの!
— お前らが惚れ惚れするような名文って何? | ニュース2ちゃんねる (via mercure)
(出典: ibi-s)
シャーロック・ホームズは「知りたいことを聞き出すコツは、こちらの言うことに異議を唱えさせることだ」と言っている。
本当のことを教えてあげたい、という人の欲望を刺激するのだ。「それは古い緑の船だね」とあてずっぽうに言ってみる。
「いや、新しくて黒い船だよ」と相手が言ってくれたらしめたものだ。
「おまえが好きなのは鈴木だろ!」
「違うわ、あなたよ!」
— 【東京ブック】 知りたいことがあるときは・・・ | IDEA*IDEA (via miyavi) (via ex-nei) (via jinon) (via jinakanishi)
2008-03-10 (via gkojay) (via mcsgsym) (via usaginobike) (via korobix) (via pyanko) (via usaginobike)
自分がやっていることを、それについて何も知らない他人が聞いて魅力的に思うように話せるようになっておくと、いろんな場で役に立つような気がする。
あまりにも情報がない状態、なんの教育も受けていない状態で、中学生の女の子がたった一人、電車内で見知らぬ男に変なことをされて、声も出せない恐怖を受けるなんて、理不尽すぎてゾッとする。さらに彼女たちが「よくあること」と恐怖感を麻痺させられていることも恐ろしすぎませんか?
私は、あの時の大人たちのような「知らん振り」を、自分の子どもには絶対にしたくないと思い、「痴漢撲滅運動」をしている団体に入ろうと思った。しかし見つけることができず、ネットで「痴漢問題」について書くことで、ヒントを得ようと思った。その結果、「自分の子どもが年頃になるまでに痴漢を撲滅することはまず無理だ」という結論に至り、実践的な防御法を教えるしかないと思った。そこで、合気道が出てきた。
まずは自分がやってみようと思い、合気道道場に行ってみることにした。やってみると、すごくよかった。先生に技を習って、倒れたり、大きな体の男の先生を倒したりする。痴漢や、男に絡まれた時に、絶対に有効だと思った。「技」そのものが男相手に使用できるというのじゃなくて、“弱い者いじめ”をしたがっている男に狙われた時、相手に「こいつをいじめてもおもしろくないな」と肌で分からせるような、強い「気」のようなものを身につけることができる、と思った。「こういうものを私は習っている」という、体や心や頭にこびりついた知識が、とっさの時に必ず役に立つ。こういった武道を「やってる」のと「やってない」のでは、まったく違う。お味噌汁を作る時に、出汁というものを使うということを知っているか知らないかの違いくらい、圧倒的に違うと確信した。私は、怒りが湧いてきた。
どうして私が小学生、中学生、高校生の時、周りの大人は「武道」を教えてくれなかったんだろう? 「女の子は痴漢に遭うものです」と言いながら、なぜ、こういったことを教えずに、「野放し」で、電車に乗せたり、道を歩かせたり、プールで泳がせたりしたんだろう。